【#15】すべてがいい加減で、たぶん孤独で【Sandwiches'25】
前にも書いた近所のコンビニエンス・ストアが今日で閉店する。用事ついでに覗いてみると店内に商品はほとんど残されておらず、がら空きのスチールラックが寒々しい。レジに立つのは見慣れた店員ではなく、知らない顔だ。とくに欲しいものもないので買い物はしなかった。いつもならこの場所で荷物の発送をするのだが、もう閉店間際だから受け付けていないらしい。それで、普段は行かない隣駅の郵便局まで出かけることにした。不要になったマンガや雑貨を買い取り業者に送ることになっていたのだ。段ボールを一箱、胸に抱えて街を歩いた。
この春は、身の回りのものを少しでも減らそうといわゆる「断捨離」を続けている。不要になるようなものなら、そもそも買わなければいいーーわかっていても、なぜか暮らしているだけでものは増え続ける。特に、本。福岡から上京したてのとき、中野の狭いワンルームにもちこんだのはおそらく30冊とかそのくらいだった(覚えているのは夏目漱石『三四郎』、フランツ・カフカ『カフカ短編集』、森博嗣『すべてがFになる』、あとは「ドリトル先生」シリーズとか)。
それから10年以上が経ち、いまは何百か、何千冊か、とても数え切れない。ほしい本はなんでもすぐに買ってしまうから。度々減らそうとはするが、じっさい本ほど手放し難いものもない。本の中に「不要」なものなどひとつもない、と、そんな信仰をこそ捨てられずいるのが原因である。かろうじて、流行りの小説やマンガ、雑誌の類だけを中心に入れ替え入れ替え、誤魔化しながらやってきた。これからもそうして、部屋が壊れないぎりぎりを攻めることになるだろう……。引っ越しなんかを想像すると、ちょっと気が滅入る。
荷物の発送をすませたあと、せっかくなのでと普段は入ることのない駅の裏道へと入り、そこで見つけたカフェでオムライスとアイスコーヒーを頼んだ。オムライスにはケチャップが山盛り。味が濃く、わたしの舌には少ししょっぱかった。次に頼むときは「ケチャップ少なめ」と言おう、言えそうだったら。席は窓際。気温の高い日だったから、アイスコーヒーは冷たく喉にこころよかった。バッグに入れてきた津野海太郎『本はどのように消えていくのか』、リチャード・ブローティガン『ロンメル進軍』の2冊を交互にぱらぱら開いて、飽きたら外の往来をぼんやり眺めたりしてお昼を過ごした。
『ロンメル進軍』から引用をひとつ。
こんな人生ばっかりなんだよな
二日酔い
すべてがいい加減
孤独
これでは寝ていた方がましだよ
漂白した猫のクソみたいな人生リチャード・ブローティガン詩集『ロンメル進軍』(高橋源一郎 訳/思潮社、1991年)
p.134「こんな人生ばっかりなんだよな」より
情けないほどナイーブな、ブローティガンの魅力が詰まった詩。「bleached cat shit」なんて、吐き捨てるような書きぶりが好きだ。この詩はちょっと下品だけど、こうしたくだらないレトリックの中に、どうしようもない現実への投げやりなユーモアがある。それが彼の魅力だと思う。
この作家に出会ったのは大学生のころ、同じゼミの友人の紹介によってだった。そのとき読んだ『アメリカの鱒釣り』は、断片的なイメージの奔流に圧倒されてとてもその全貌を捉えることはできなかったけれど、短く連なる断章のコラージュによって大きな物語のイメージを浮かび上がらせていく、未知なる小説のありように取り付かれた。「これこそクールだ」と電撃が走った、以来、少しずつその著作を集めてきた。
ブローティガンの邦訳本はそもそも多くないが、その中でも文庫化されている2、3の代表作のほかはほとんどが絶版の憂き目を見ており、希少ゆえ1万円を超えるプレミア価格がついているタイトルもある。作品を手に入れるにもひと苦労だ。お気に入りの小説作品『東京モンタナ急行』は世田谷の古本屋で6千円。詩集『ロンメル進軍』はネットで偶然安価になっているものを買ったのだったか、それでもたしか3、4千円はした。いずれにせよ気軽な買い物ではない。出会いから10年近く経過した今年、ようやく邦訳タイトルのほぼすべてを入手するに至った。コンプリートへの欲求。所有への渇望。それもまた「断捨離」を目指す我が生活においては手放すべき対象であるだろう、けれど、そんなことより「読みたい」と思わせるだけの魅力が、ブローティガン作品には詰まっていた。
実のところ、ブローティガンだけではない。同じだけの魅力を、たとえば安部公房、堀江敏幸、平出隆、長谷川四郎、田中小実昌、井戸川射子、etc、etc……さまざまな書き手に感じる。一冊でも多く、彼人らの作品を手に入れたい、読みたい。自分のものとしたい! 恐るべき欲望は、止められない。これではとても整理がつかない、話にならないと思われるだろうか? それでもわたしのように「すべてがいい加減」で「孤独」な人生には、物語が、詩が、ありったけ必要なのだ。
そもそも自分の意思で減らしたり、増やしたり、コントロール可能なものでもないのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら家へと戻った。早くも郵便局に預けた段ボールの中身を恋しく思い始めた自分がいたけれど、これ以上思い出すのはやめておこう、と決めた。(2025.5.2)