【#27】分け合う熊、不機嫌な熊【Sandwiches'25】

 
 
 
 

同居人が「ケアベア」というカラフルな熊のキャラクターのフィギュアを買ってきた。中身のわからないブラインド・ボックスタイプの商品で、入っているフィギュアはぜんぶで10種類。何が出るかな、と開けてみれば「シェアベア(Share Bear)」という、パープルの体色をした熊が入っていた。お腹にはストローが2本刺さったキャンディ? の絵柄。名前の通り、誰かと「シェア」することのイメージということか。

まあ、可愛いね、とそのパッケージを眺めていると、ラインナップにいた「グランピーベア(Grumpy Bear)」という青い体色の熊が妙に目に留まった。あれ? と写真をあらためるうち、その違和感の正体に気づく。他の種類がにこやかに、柔和な表情を浮かべているなかで、「グランピー・ベア」だけが不機嫌そうに、しかめっつらをしているのだ。なぜだか、わたしはこの「グランピー・ベア」のことが、すっかり気に入ってしまった(「シェアベア」ちゃん、せっかく家に来てくれたのに、ごめん)。

少し調べてみるとわかるのだが、この「グランピーベア」はフィギュア・シリーズだけでなく、あらゆる「ケアベア」商品においてひとりだけしかめっつらを貫いている。いくら周りの熊がニコニコと笑っていても、彼は口をへの字に曲げて、うつむき気味だったりする。そのどうしようもなく不器用な感じが、愛らしい。

公式ホームページには、20種類近い「ケアベア」たちの紹介がのっている。「グランピーベア」の項いわく「いつもしかめっ面のグランピーベア™は、不機嫌でいることはバカバカしいと教えてくれているのです。/また、たまには不機嫌になってもいいということも教えてくれています。/雨雲から降るハートは、不機嫌な時でも身近なみんなから愛されていることを思い出させてくれます」。

日々を暮らすなかで、人は常に上機嫌でいられるかというと、そうは限らない。負の感情を抑え込んでばかりいると、いつか爆発してしまう。ときとして「不機嫌」であることも必要なのだ。自分自身、また他人のしかめっつらも認め、許すこと。そこにある「不機嫌」をいたわり肯定することの必要を、「グランピーベア」は身をもって表現しているのだろう。

にしてもだ。他の熊が、「シェア」や「テンダーハート」「チア」「ホープフルハート」など、「前向き」な生き方を笑顔で実践しているなかで、「グランピーベア」のみが仏頂面で、感情の負の部分とも言える「不機嫌」を代表させられている。そのことの悲哀といったらない、彼の存在をいっそう好ましく感じずにはいられない。

行き過ぎた表現かもしれないが、日々の営みのなかで、わたしたちが「前向き」で「優しい」心のありようを貫き続けることの欺瞞、困難。それを一手に引き受けているのが彼なのかもしれない。可愛らしい「ケアベア」の世界において、独善的な「ケア」の危うさを訴える存在。その集団の「ノリ」を疑い、意義を唱えるため、いざというときの歯止めとなる役割として選ばれたのが彼の「不機嫌」だとしたら。ずいぶん、意義深いしかめっつらのような気がしてくる。

ホームページのなかに、「あなたにぴったりのケアベアを教えてくれる」というミニゲーム「ケアベア診断」を見つけた。いくつかの質問に二択で答えていくと、自分の性格にあう「ケアベア」が見つかる、いわゆる心理テストのようなものだ(なんの回し者でもないけども、気になった方はやってみてね)。

せっかくだから、調べついでにとトライした結果……またなんという縁か、わたしの性格に合う子は「グランピーベア」だと言うのだった。たくさんの種類がいるなかで、しっかりその子を引き当ててしまった。もちろん偶然だろうが、気まぐれに抱いた愛着が、なにやら強固なものに変わりつつあった。やはりわたしと彼とは、似たもの同士なのだろうか。

そういえば、『白雪姫』に登場する7人の小人たちのなかでも「おこりんぼ(英語の名前はずばり「グランピー」)」が好きだった。ほかにもドラマ『ウェンズデー』の主人公、ウェンズデーなんかもそうか。いつも、集団のなかにいてうまく笑えていない「不機嫌」さをもった彼らに共感を覚える。それは自分自身もそうだという感覚がどこかにあるからか。修学旅行の班行動、大学のサークル活動。さまざまな場面で、グループにいまいち馴染むことができなかった思い出が浮かぶ。

人と関わり合うことは、簡単ではない。摩擦の一切ない関係などないし、当然、自分の望む姿にならないこともある。そんなとき、無理に笑顔でい続ける必要はないんじゃないか。一度、腕組みをして、しかめっつらのままその場に留まるときがあってもいいはずだろう。それは他者を威嚇したり、抑圧するためではない。自分自身を立ちどませるもの、生きることの「ままならなさ」と向き合うためにこそ、必要なひとときの態度なのだ。きっと。

華やかな「ケアベア」グッズコーナーにあっても、ただひとり仏頂面を崩さない「グランピーベア」。彼のありようはなんとも誠実で、いじらしい。いつかそのフィギュアでも手に入れられたらと思うが、そうなのだった、いま我が家には笑顔の「シェアベア」ちゃんがいて、見つめ返して。ごめん。だいたい同居人からしてみても、不機嫌な顔はわたしひとりで十分なのかもしれなかった。でも、いつか。(2025.8.23)

 
maco marets